月岡芳年渾身の狂気に満ちた仁王像投げの図の謎
この絵は、芳年作品の中でも特に狂気に満ちていると名高い一枚。
確かにタイトルも、絵も、色使いも、どこか常軌を逸したものになっている。
精神異常を再発する兆候が現れている絵だとも言われる。
さて、そういった話は置いといて、この絵のシチュエーションについて触れる。
タイトルは漢字だらけでよくわからないが、とにかく
「蒲生貞秀の家臣であった土岐元貞が、猪鼻山の堂に巣食っていた妖怪を投げ倒した図」
である。
甲州甲斐国に蒲生貞秀が進軍した際のエピソードのようで、堂で仁王像などに化けていた妖怪を家臣の土岐元貞が投げ倒したら、妖怪達は消えていったという。
土岐元貞という人物についての資料が見つからなかったのだが、とにかく物凄く腕っ節の強い武将だったのだろう。
芳年のおぞましい程の絵からも、どうりゃ! と投げ飛ばす元貞の豪腕っぷりが伺える。
しかし見れば見る程怖い絵である。特に後ろで薄ら笑いの仏像がかなり不気味……。
妖怪画であると同時に、芳年の心の中を描いた絵でもあるのかも知れない。
――さて、この絵については、実は芳年はもっと前に『和漢百物語』において同じ題目で描いている。
『和漢百物語』より「登喜大四郎」
しかしここで未だ解らぬ大きな謎がある。それは、恐らく同じ題目であると思われるのに、描いている人物が同じでは無い、ということ。
先述したように、『新形三十六怪撰』では蒲生貞秀の家臣であった土岐元貞、の絵であるが、『和漢百物語』では蒲生氏郷の臣下である登喜大四郎(ときだいじろう)、という設定なのだ。
二つに共通するのは「蒲生氏の家臣であったこと」なので、そこは間違いないのだろうが、違う人物であるのはどういうことなのか、こればかりは僕にもさっぱりわからない。何かしら勘違いしたのか、あるいは他の理由なのか。
これまたロマンである。