陰摩羅鬼(おんもらき)
『今昔画図続百鬼』より「陰摩羅鬼」
蔵経の中に、初て新なる屍の気変じて陰摩羅鬼となる、と云へり
そのかたち鶴の如くして、色くろく目の光ともしびの如く羽をふるひて鳴声たかし、と清尊録にあり
死んだばかりの者の気が生み出すと云われる超恐い怪鳥の妖怪、陰摩羅鬼。
日本や中国の古書に伝わっており、主に寺の近くで現れるようだ。
寺等に新たに葬られた死体から生じる「気」が形を成し、この不気味な陰摩羅鬼になるのだという。
容姿は、石燕も書いているように鶴のようで、色は黒く、目が光っていて、鳴き声は甲高いらしい。
陰摩羅鬼の顔は死した者によって変わる為、誰が死んでも石燕の描いたようなハゲおやじになっちゃうわけではないので安心されたし。
ところで、最近漸く京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』を読み終えたので追記しておく。
京極先生の百鬼夜行シリーズを振り返ってみて、ほんとにようやくたどり着いた、という感じ。でもまだ邪魅と榎木津様が待っている。
毎度毎度とてつもない量のウンチクをぶち込んでくれているので、今回もお腹一杯。
儒教と仏教の考察なんかを読んでいると、まだまだ妖怪を知るには勉強不足過ぎるということを思い知らされる。仏教特集なんかしてみたところで、結局はそれも上っ面の仏教である。
ただ、妖怪陰摩羅鬼そのものについての記述は少なかったように思う。それでもちゃんと物語の中では陰摩羅鬼が出てくる。しゅごい。
陰摩羅鬼の瑕では、死と、鳥と、儒と、世界のありよう――大体そんな感じのことが盛り込まれている。
読後感は、ただただ悲しかった。云うな、京極堂。まさに関口クンの言葉そのままである。ある程度展開が読めたからこその、「云うな」という気持ち。
そして、本当に最後の一行。そこで僕は泣いてしまった。見事すぎるだろぢぐじょー。
哀しいけれど本当に引き込まれる一冊だし、死への考え方も考えさせられる。
塗仏で止まってしまっている方は、前回散々過ぎて可哀相になってた関口巽がなんだか頼もしくなってるだけでも、読む価値あると思う。おわり。