墓の火(はかのひ)
『今昔画図続百鬼』より「墓の火」
去るものは日々にうとく、生ずるものは日々にしたし
古きつかはかすれて田となり、しるしの松は薪となりても、五輪のかたちありありと陰火のもゆる事あるはいかなる執着の心ならんかし
墓の火は、字の如く墓から火が現れる怪異。
石燕の描いた荒れた墓所では、五輪塔の梵字(ぼんじ)が欠けている。
そのために発心から涅槃へと到達できずに火となって現れたものか、それとも現世に未練がある為に自ら梵字を掻き消して燃え現れたものか。
因みに僕は鳥山石燕のお墓に参ってきましたが、燃えてませんでした(風の強い日だったので、線香に火を灯すのに苦労して自分が燃えそうになったのはここだけの話)。
これだけ沢山の妖怪画も描き残し、未練などないのでしょう。