いそがし
いそがし
『百鬼夜行絵巻』より「いそがし」
恐ろしいことに、日本人のかなりの人数が憑かれていると言われる妖怪。
憑かれた際の特徴として、「とにかく忙しく働いていないと心が休まらない」、「忙しくないと逆にイライラする」など。あなたも心当たりないだろうか?
水木しげる先生は、日本人の多くが妖怪「いそがし」に憑かれている現状に驚き、「そんなんで幸せなのかな?」みたいな事を何かで書いていた。
対処法は不明なので、いつか自然にいそがしの呪縛から解放される事を願うしかない。
ああ忙しい。
現代人に憑りつくいそがしの怪
これは私の会社での同期の男性に起きた出来事です。
その男性は、会社でも無口で、私ともほとんど会話はしませんでした。
しかしお節介気味な私は、よくミスをして怒られている彼をなんだか放っておけず、ついつい話しかけてしまうのでした。ただ同期だから、というだけだからです。たぶんですけど。
彼は次第に私に心を開き、不器用であることを嘆いてくれるようになりました。
しかし、ある日異変が起きたのです。
それまで散々ゆっくりで、無口で、仕事もできなかった彼が、ものすごく喋り、怒鳴り、仕事をテキパキとこなしていたのです。
驚いたのは私だけではありません。
会社の誰もが、それこそ警備員に至るまでが、「あの人、どうしちゃったの?」と気に掛けていました。
それ程にそれまでの彼は大人しかったのです。
私は一番彼とよく話す立場でもありましたから、それとなく尋ねました。何があったのか? と。
「実はね、この前、夢を見たんだ」
夢?
「何だか淡い緑色をした、不気味な化け物……うん、化け物だったと思う。そいつに、延々と追いかけられるんだ。それだけの夢。でも、それで目が覚めたら……」
彼は忙しなくあたりを見ながら、おどけて肩を竦めました。
そして彼はすぐにまた仕事へと戻って行ったのです。
理解できませんでした。
夢を見たから、そうなった?
――数日後。
私は両親と、祖父と、食後のお酒を嗜んでいました。その時、なんとなしに祖父にその男性の話をしてみました。
昔、医師だった祖父だから、何かそのような症例を知っているかもと思ったのです。
すると祖父は、
「懐かしいなぁ。そりゃあ、いそがし、っちゅう妖怪だ」
妖怪? 意外でした。祖父の口から妖怪なんて言葉が出てくるとは思わなかったのです。
「いそがしはな、特におとなしいヤツに憑くもんなんだ。忙しく働いてないと落ち着かない。静かにしてるのが耐えられない。そうなっちまうんだな」
冗談っぽくもあり、また何かを懐かしむようでもあった祖父。祖父は最後に、
「でも、怠け者が多い現代人にとっちゃ有り難いじゃないか。いっそもっといそがしが憑いてくれりゃあこの景気も良くなりそうなもんだけどなぁ」
と豪快に笑いながら言っていました。
彼が見た夢の化け物が、妖怪だった。そんなとても信じられない可能性を私は得てしまったのです。
それからしばらく、彼は本当に忙しそうに毎日働きまくっていました。が、ある日その慣れない労働が祟ってか、身体を壊したらしく、会社に姿を見せなくなってしまいました。
なんだか胸騒ぎがした私は、彼のマンションの住所を、うまく上司から聞きだし、見舞いに行ってみました。
しかし彼は不在。……というよりも、引っ越してしまった後のようでした。
沢山の郵便物が詰め込まれた、玄関のドアの郵便受け。
そこに、私の名前が書かれたメモが見えました。
私はドキっとして、恐る恐るそのメモを読んでみました。
なんだか胸騒ぎがどんどん大きくなっていきます。
そしてそのメモには、「いそがしがくる」とだけ書かれていました。
私の頭の中が真っ白になったのは言うまでもありません。
彼のメモからも、冗談だと思っていたあの妖怪の名前が出てきたのです。
そして、今。
今私は、夢中でこの日記を書いています。
とにかく何かを書いていたい。
今日が休日なのがうらめしい。苛立たしい。
そうなんです。
昨晩、私も夢の中で緑色の化け物に追いかけられたのです。
舌を長く伸ばし、ただひたすらに私を追いかけてくる化け物。
声も、吐息すらも聞こえない、静寂の逃走劇。
夢の中では時間という概念が無い。
私は延々と、永遠と、ただ逃げ続けた。
急がそうとするいそがしなのか、忙しく逃げる私がいそがしなのか。
とにかく私も、いそがしに出会ってしまったようなのです。
しかしお節介気味な私は、よくミスをして怒られている彼をなんだか放っておけず、ついつい話しかけてしまうのでした。ただ同期だから、というだけだからです。たぶんですけど。
彼は次第に私に心を開き、不器用であることを嘆いてくれるようになりました。
しかし、ある日異変が起きたのです。
それまで散々ゆっくりで、無口で、仕事もできなかった彼が、ものすごく喋り、怒鳴り、仕事をテキパキとこなしていたのです。
驚いたのは私だけではありません。
会社の誰もが、それこそ警備員に至るまでが、「あの人、どうしちゃったの?」と気に掛けていました。
それ程にそれまでの彼は大人しかったのです。
私は一番彼とよく話す立場でもありましたから、それとなく尋ねました。何があったのか? と。
「実はね、この前、夢を見たんだ」
夢?
「何だか淡い緑色をした、不気味な化け物……うん、化け物だったと思う。そいつに、延々と追いかけられるんだ。それだけの夢。でも、それで目が覚めたら……」
彼は忙しなくあたりを見ながら、おどけて肩を竦めました。
そして彼はすぐにまた仕事へと戻って行ったのです。
理解できませんでした。
夢を見たから、そうなった?
――数日後。
私は両親と、祖父と、食後のお酒を嗜んでいました。その時、なんとなしに祖父にその男性の話をしてみました。
昔、医師だった祖父だから、何かそのような症例を知っているかもと思ったのです。
すると祖父は、
「懐かしいなぁ。そりゃあ、いそがし、っちゅう妖怪だ」
妖怪? 意外でした。祖父の口から妖怪なんて言葉が出てくるとは思わなかったのです。
「いそがしはな、特におとなしいヤツに憑くもんなんだ。忙しく働いてないと落ち着かない。静かにしてるのが耐えられない。そうなっちまうんだな」
冗談っぽくもあり、また何かを懐かしむようでもあった祖父。祖父は最後に、
「でも、怠け者が多い現代人にとっちゃ有り難いじゃないか。いっそもっといそがしが憑いてくれりゃあこの景気も良くなりそうなもんだけどなぁ」
と豪快に笑いながら言っていました。
彼が見た夢の化け物が、妖怪だった。そんなとても信じられない可能性を私は得てしまったのです。
それからしばらく、彼は本当に忙しそうに毎日働きまくっていました。が、ある日その慣れない労働が祟ってか、身体を壊したらしく、会社に姿を見せなくなってしまいました。
なんだか胸騒ぎがした私は、彼のマンションの住所を、うまく上司から聞きだし、見舞いに行ってみました。
しかし彼は不在。……というよりも、引っ越してしまった後のようでした。
沢山の郵便物が詰め込まれた、玄関のドアの郵便受け。
そこに、私の名前が書かれたメモが見えました。
私はドキっとして、恐る恐るそのメモを読んでみました。
なんだか胸騒ぎがどんどん大きくなっていきます。
そしてそのメモには、「いそがしがくる」とだけ書かれていました。
私の頭の中が真っ白になったのは言うまでもありません。
彼のメモからも、冗談だと思っていたあの妖怪の名前が出てきたのです。
そして、今。
今私は、夢中でこの日記を書いています。
とにかく何かを書いていたい。
今日が休日なのがうらめしい。苛立たしい。
そうなんです。
昨晩、私も夢の中で緑色の化け物に追いかけられたのです。
舌を長く伸ばし、ただひたすらに私を追いかけてくる化け物。
声も、吐息すらも聞こえない、静寂の逃走劇。
夢の中では時間という概念が無い。
私は延々と、永遠と、ただ逃げ続けた。
急がそうとするいそがしなのか、忙しく逃げる私がいそがしなのか。
とにかく私も、いそがしに出会ってしまったようなのです。