妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

「妖怪画解説」

月岡芳年『和漢百物語』とは?

月岡芳年『和漢百物語』 月岡芳年が二十代半ばにして描いた、日本や中国の伝説をモチーフにした浮世絵版画。 「血まみれ芳年」等の異名を得ることになる無残絵も有名だが、妖怪達と戦う英雄を描くのも得意だった芳年。 この妖怪図鑑でも全て紹介することので…

『百物語』(葛飾北斎)とは?

百物語は、皆も知っての通りの、深夜にろうそくを囲って百の怪談を語り合うアレである。 それをそのまま絵にしちゃおうと北斎が企画したのがこの『百物語』。 しかし悲しいことに、企画当初は百の絵を書く予定だったのかも知れないが(あるいは描いたけど残っ…

北斎漫画とは?

北斎漫画(ほくさいまんが)は、名前の通り葛飾北斎による絵手本集。北斎で有名な『富嶽三十六景』などは北斎がかなり老いてからの作品であるが、この北斎漫画は北斎の年齢的な全盛期である50歳頃に描かれたものである。北斎漫画という名前の由来は、「気の向…

『新形三十六怪撰』とは?

『新形三十六怪撰』(しんけいさんじゅうろっかいせん)は、月岡芳年による妖怪や怪異を描いた、名前の通り三十六の連作からなる妖怪画集。 芳年は何度も神経衰弱を発症しており、この『新形三十六怪撰』も実は描き切ることなく没してしまった。しかし芳年の…

百鬼夜行絵巻(真珠庵本)とは?

『百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)は、現存する百鬼夜行絵巻では最古の絵巻である。 真珠庵本をルーツとすると見られる百鬼夜行絵巻は、そのほとんどが似たような妖怪、似たような順序で描かれており、これは原本を模写したためであると言われるが、その原本がこ…

うぃき的現代妖怪絵巻とは?

何の事は無い、現代で頻繁に現れる古い資料には無い妖怪を、みんなで図鑑に登録しようぜーー! という考えで作られた絵巻である。 絵巻のくせに巻物では無い。 僕のプライベートで関係のある某人物が、「妖怪なんて描いちゃえばいいだろwww」と適当に描き…

『化け物尽くし絵巻』とは?

化け物尽くし絵巻(ばけもの つくし えまき)は、江戸時代後期に描かれたと思われる妖怪絵巻物の一つ。 全12種類の妖怪が描かれており、作者は不明。 描かれた妖怪のほとんどが類例の無いオリジナルと見られる妖怪で、名前も言葉遊びであろうと思われるも…

『絵本百物語』とは?

『絵本百物語』(えほんひゃくものがたり)は、1841年に刊行された妖怪画集。 文を「桃山人(とうさんじん)」が書き、挿絵を「竹原春泉(たけはらしゅんせん)」が描いている。 なぜか『桃山人夜話(とうさんじんやわ)』という別名が付き、そっちの方が有…

『百怪図巻』とは?

『百怪図巻』(ひゃっかいずかん)は、江戸時代中期の画家、佐脇嵩之(さわき すうし)による妖怪絵巻。ずまき、じゃない。 『画図百鬼夜行』の鳥山石燕も、当絵巻の妖怪をほとんど描いている為、この書を参考にしたかも、と言われている。 絵巻でありカラー…

『百器徒然袋』とは?

『百器徒然袋』は、1784年(天明4年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。読みは「ひゃっきつれづれぶくろ」。 『画図百鬼夜行』、『今昔画図続百鬼』、『今昔百鬼拾遺』と続いたシリーズ最後の作品。 この妖怪画集はタイトルも既に「百鬼」を「百器」にし、更…

『今昔百鬼拾遺』とは?

1780年(安永10年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。 『今昔百鬼拾遺』の読みは「こんじゃくひゃっきじゅうい」。 『画図百鬼夜行』で始まり、『今昔画図続百鬼』で妖怪の魅力をふんだんに描き、この『今昔百鬼拾遺』では妖怪の奥深さ、複雑さを堪能できる…

『今昔画図続百鬼』とは?

『今昔画図続百鬼』は鳥山石燕による『画図百鬼夜行』の続編の妖怪画集。 (『画図百鬼夜行』とは? もどうぞ) 1779年(安永8年)に刊行。 読みは「こんじゃくがずぞくひゃっき」。噛まないよう注意されたし。 雨、晦、明の三部構成。 この『今昔画図続百鬼…

『画図百鬼夜行』とは?

『画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)』は、安永5年(1776年)に出された鳥山石燕の妖怪画集。 鳥山石燕は江戸中期の浮世絵師であり、狩野派(日本の代表的な画派の一つ)。 妖怪画以外も描いたが、石燕の名を世に知らしめたのが「百鬼夜行シリーズ」と言わ…